「コマと線になぜ人はいまだに感動するのか?」行ってきた

 ざっくりです。自分語りです。トーク内容を知りたいとか客観的な感想をお求めの方などが求める内容はありません。
 
 
 国際マンガ・アニメ祭 Reiwa Toshima(IMART) https://mapdate.net/imart/トークイベント「コマと線になぜ人はいまだに感動するのか? マンガ表現論と、その先」へ行ってまいりました。登壇者は、夏目房之介さん、宮本大人さん、野田謙介さん、三輪健太朗さん。
 
 宮本大人さんと私はだいたい同じような年ごろだけどまんがについての文章(今の目で見て論なのか問題を避けている書き方)の触れ方がちがっていておもしろかった。こういうくくり話はしていないので、論に触れた話であって「まんがについての文章」だったらもっといろいろあるわーという可能性は高いですが。
 
 いろんな人に話しているけれど、私がはじめて読んだのは藤子不二雄『二人で少年漫画ばかり描いてきた』(文春文庫)、石森章太郎『レオナルド・ダ・ビンチになりたかった』(ポプラ社)です。小学生のころ。
 まんがはなかなか買ってもらえないが、文字の本なら割と買ってもらえるという家に育ったからです。
 
 中学生になると「ぱふ」を読むようになり、そこから過去の言説に触れていったカンジ。
 
 なので、呉智英さんの『現代マンガの全体像』(情報センター)、橋本治さん『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(北宋社)あたりが中学生。すでに少女まんがにかたよった人生だったので、キンピラゴボウは夢中になって読みました。『現代マンガの全体像』は「うーーん、趣味あわないかも」しらいの感想(すいません)。図書館にあった『マンガ批評大系』を借りたのもこのころだけど、もう高校生になっています。知らないことが多すぎて、わかるとこだけ読みました。*1
 
 私は素直に『現代マンガの全体像』の読後に1970年代の言説へたどりついたと思っていたけれど、宮本さんは『現代マンガの全体像』を信じて1970年代の言説へたどりつくのが遅れたという(私の理解です)。1980年代の言説→1970年代の言説と順を追っているので(近くにサンプルもいないし)、自分のルートが「普通」と思っていたけれど、真逆だったのがおもしろいなーと思いました。単に私が『現代マンガの全体像』をまじめに読んでなかった可能性は高いですが。*2
 
 
 あと、トーク後、夏目さんはどう新しかったかというような話題になった時、「線の導入」というような話だったと思うのですが(雑音で半分くらいしか聞こえてないのでちがうかも)、私のここの理解はとても表層的で「夏目さんの新しかったところは、すでにライターなり、テレビなりで名を成した人がまんが批評をエンターテイメントとして提示したところ」だと思っています。
 
 論というかたちで表示されるかはともかく、線の話は夏目さんがしなくても誰かがいずれちがう形でも書いたのではないかという気がしており。
 野田さんにしても、三輪さんにしても、比較的容易にアクセスした夏目さんから入っています。「マンガ夜話」だったり、大出版社の文庫だったり。
 そういう活動を見て、野田さんや三輪さんのように論文書くところまでは行かないにしても。「あ、まんがの表現をこうやって見ていくのって楽しい」「まんがについて人としゃべったり、書いたりするのは楽しい」って思った人はたくさんいたはず。
 
 夏目さんが教育者として大学でまんがの論文の指導をしているのはとてもすばらしいことです。けれども、それ以前のエンターテイメントにのせて世に出した仕事を通して裾野を拡大させたことというのがそれよりも大きいと私は思っています。夏目さんは自分は教養もないしーみたいなことを言っておられましたが、夏目さんの仕事は教養の世界があることを前提にしたもので、そこから学問へたどりつく人がいた訳です。
 
 これが夏目さんにしかできなかったことなのではないかと思います。
 
 
 
 それにしても、野田さんがあげた夏目さんの文章。あの紹介はズルいし、夏目さんのコメントもツボを刺激するものでした。
 会場の人はみんな読みたくなったと思う。私はとても読みたくなりました。
 
 
 
(内容と関係ない感想)
 
 まんがが学問に接近していくにあたって、美術、文学、哲学などのやり方を取り入れて学問化していく当然予想できたこと。ただそれだけでは、産業や国際的あれこれなども包括して扱うことはできないので、そのうちアジア学みたいに各研究者はそれぞれの手法でやっていって、全体をウォッチする係みたいな研究者が出てくるか、学会なりなんなりで全体を示していくようになるのではないかと思いました。ただ、そのころの「まんが」は私の知っているまんがではなくなっているかもしれませんが。
 
 
 
 

*1:「マンガ批評大系」が近所の図書館にあったのはウソ記憶で、読んだのはもっと後かもしれない」と思って検索したら、かつて通った図書館にまだ所蔵されていました。書庫行になってた。

*2:そもそも私は研究者ではない。こういうところが研究者と一般人の道の分かれ目なのです。