ミュシャ展図録2種とアニメ雑誌

 書くの忘れていましたが、3点ほど海外の本を買っています。

 

Eternel Mucha: AU GRAND PALAIS IMMERSIF

 「永遠のミュシャ」展のグラン・パレ・イメルシフ(パリ)の図録。日本の図録はこちらを元にしています(現在(2025年5月)は在庫がないようです))。ソフトカバー。
 「黒のヘレネー」扉絵を収録。

 こちらの記事で紹介しています。

 

www.amazon.com

 

Timeless Mucha: The Magic of Line

 こちらはフィリップ・コレクション(ワシントンDC)の展示の図録。ハードカバー。「黒のヘレネー」扉絵を収録。
 タイトルからすると「永遠のミュシャ」っぽいですが、展示写真を見ると違う切り口の展示のようです。

 山岸先生の取り上げ方はこれまでの「永遠のミュシャ」と同じで、影響下にある現代のアーティストとしての紹介。
 複製を展示しているのだろうとは思っていたのですが、この図録にはジークレーとありました。複製が(所蔵者がないのでおそらくですが)ミュシャ財団かどこかに収蔵されているということかと。収蔵者は展示する権利も持っていますから、今後もミュシャの展示に登場する可能性があるということと思われます。

 

公式

https://www.phillipscollection.org/event/2025-02-22-timeless-mucha-magic-line

 

https://x.com/artnet/status/1899561970623295971

https://news.artnet.com/art-world/alphonse-mucha-art-nouveau-2616919

Alphonse Mucha Helped Define Art Nouveau. A New Show Explores His Lasting Influence

news.artnet.com

https://x.com/Nukuinuchan/status/1904831165313200570

 

www.amazon.com

 

日本でも輸入している店があるようです。運賃があがっているうえに、ハードカバーのしっかりした本なのでお値段もなかなかです(12,540円と9,900円。私はAmazonで12,000円くらいで購入しています)。

https://x.com/Isseidobooks/status/1915268963682181267

https://x.com/iskusstvo_shop/status/1907039763778969746

 

 

AnimeLand 250: Lady Oscar

 旧ツイッターで紹介されているページに「白い部屋のふたり」の書影があったので買ってみました。こちらは紹介されているところ以外は掲載がないようでした。

 

https://x.com/Animeland_mag/status/1902351462904029347

 

 

 

見出し用画像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えむえむ山岸展の痕跡

 京都マンガミュージアムの常設展示に「来館記念 石膏手型「マンガ家の手」」というのがありまして。

https://kyotomm.jp/ee/per-exh_artistshands/

 

 今まで確認してなかったのですが、ご教示いただきまして見てまいりました。山岸凉子展があったのだからマンガ家の手にも入っていておかしくないのです。

 

山岸凉子展「光-てらす-」-メタモルフォーゼの世界-
https://kyotomm.jp/event/exh_yamagishiryoko/

 

 カフェの壁のほうは、当時情報をいただいてすでにすぐに撮影済です。

 

 石膏のほうは、即時に展示されるものではないということもあり、ここに入っていることにまったく思いつかず、確認もしてきませんでした。

 2017年の山岸凉子展会場にあった色紙も一緒に展示されているのがうれしいところ。撮影も自由です(2025年1月時点)。

 

 

永遠のミュシャ

 ミュシャの展示に山岸先生も登場ということで行って参りました。記事は2月に書いてますが、1月に行っています。

永遠のミュシャ公式サイト
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/24_mucha/

 

全体の印象

 原画というかミャシャだから版画でもいいんですが、当時のものはなく、映像やパネル等で見せて行く展示。すべて写真OKで、どこを撮っても映えるカンジ(今は映えってあまり聞かないので言わないのかもしれない?)。
 まず、ホールみたいなところで映像を見ます。これが30分くらい。ミュシャの人と作品をまとめたようなもの。ホールの壁3面、時には床も使用しての「圧倒的イマーシブ空間」。ここでもキャプが出てくるんですが、読めるような速さでなく。内容は出た後の展示で確かめていくカンジ。香りのコーナーもありました。

 ざっくり感想だと、パリで見たかったーというのはありました。申し訳ないけれど、あの空間でもってしてもおそらくパリとはスケール感が違うと思わされたから。

 

 例えば、コスプレコーナー(という名称ではありません)。描かれていない衣装の背面も見られてとても楽しいコーナーなのですが、パリだと1/1スケールなんです(他の展示の写真でも同じ形状の階段が出てきます)。Bunkamura(仮設)が会場として悪いとは思いませんが、ミニチュアだなーという感想になってしまいます。
 とはいえ、マントやドレスがヒラヒラする様子はやはりよく、絵とは異なる魅力がありました。

マントは素直に萌えるものがあります。

 

 最初の映像の空間はパリだと3フロア分くらいの吹き抜け。こちらも没入感に差が出ているのではと推測します。ただ、部分的に動いているかのような錯覚がおきていたのでこちらはそこまで差はないかも。

 

検索してみつけたパリの様子。タテに長い。

https://x.com/parisfriendly/status/1656363724049993729

私が見た時の様子。広いけれどひらべったい。


山岸ファン的ポイント

 山岸先生の登場は主に3箇所。現代のアーティストへの影響をまとめた映像と、最後のフラッグ、カタログです。


 映像は、(少なくとも日本人は)2019年の「みんなのミュシャ」に出てくるメンバーでした。この展示の知見を活かしたものと言えます。波津彬子さんのインタビューが今回展示の撮りおろし。

 

「みんなのミュシャ」公式サイト
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_mucha/

 

 

 フラッグコーナーは影響を受けた現代のアーティストとミュシャのものが一緒に吊るされ、はためくように展示されています。その中を歩いて外に出てゆく。
 パリの展示は、フラッグコーナーが最初にあって、そこからミュシャの世界へ入ってゆく逆の構成となっています。パリは導入で、東京は出口。パリと東京でここを変えたのはどれだけ意図を持たせているものなのかわかりませんが、ちょっとおもしろいなーと思いました。

 

 カタログは映像とほぼ同じで、「黒のヘレネー」の収録です。コメント等はなし。

 

 

 以下、公式サイトよりコピペした開催概要。

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『まんがフジテレビ物語』あるいは社史について

 フジテレビが話題になったのにつられて、Twitter(現X)で社史の話題を見かけるようになりました。
 『メディアの支配者』(中川一徳/講談社/2009年初版)が話題になったというべきか。それと共に出ているのが「社史が存在しない」という言説。

 

https://x.com/sumichel0903/status/1881911844312645639

 

 ここで言う社史っていうのは部外者が思うような歴史のわかる本じゃないって意味かと思います。出版社の社史は割と読んでいる身からすると、社史はおおまかに分けて、内部向けと外部向けがあります。内部向けは新入社員等にむけてのどういう会社なのか説明するような内容。外部むけは営業ツールみたいなもので、何万部ヒット!とか、お抱えの有名作家に原稿書いてもらうあたり。×周年記念パンフレットもこちらの仲間かもしれません。
 いずれも「会社のここを知ってほしい」という内容になるので、不都合なことは基本的には載りません。部外者が知りたいことはだいたい書かれません。そしてそんなに有用でない内容でも配り本であることが基本なので、流通には乗りません。*1
 なので、社史は基本的には部外者が思うような歴史のわかる本じゃないし、図書館にどの収蔵もないもしくは少ないです。国会図書館にもないだとか、創業者の悪評的な部分が書かれてないなどは社史に対する批判のつもりであるのなら、的外れであると言えます。たいしてアピールにならなさそうなプラスにならないことを書いている場合はありますが、明らかにマイナスなことは記載されません。
 「社史に書けないことだらけ」とか「国会図書館には入れておけ」くらいは言っていいのかもしれません。

 ここまで閑話でした。

 

 フジテレビにももちろん社史はあまります。読んだ人がおもしろいと思うかどうかは別として。私はまんがを出している出版社の社史コレクターなので、テレビ局は専門外ですが、ちょっとwikiを見てみましょう。「社史・記念誌」という項目を立てて紹介されています。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3 より(2025/01/22アクセス)

 


 タイムテーブルからみた×年史は、シリーズ化してます。これは「編成局」「編成制作局」が編者になっています。「調査部」「知財情報センター調査部」「編成センター編成メディア推進室マーケティングリサーチ部」とついていることも。
 年表は「総務部」、2009年の開局50年史は「フジ・メディアホールディングス」が担当。
 実見はしなくても、担当部署で各本のなんとなくの性格がわかるのではないかと思います。


 私がチェックしたいのは何年おきに出ているかです。

 

(1959年 放送開始)
1970年 10年史稿
1974年 15年の歩み
1986年 (×周年的タイトルではない)
1991年 (×周年的タイトルではない)
1994年 35年史
1999年 40年史
2009年 50年史
2019年 60年史


 記念本は記念の年に出るとは限りません。年単位でズレることも。
 タイトルベースで見ていくと、10、15、35、40、50、60とあるので、可能性としては20、25、30があってもいい訳です。20、25、30はそれぞれ1978、1983、1988にあたります。×年とつかない年表が1986と1991に出ています。これが25、30周年記念(の代替?)か?というカンジ。

 20周年にあたる出版物が1981に出ていてもよさそうですが、ないっぽいです。記録に残らないような簡素なものだったか、冊子の形態をしていないものかもしれません。テレビ局ですから、開局×周年記念番組やイベントを記念の年の企画とするのはよくあることです。
(「本の形態で発行されたけれどwikiに載ってない」だけかもしれません。)

 

『まんがフジテレビ物語』

 ということでやっと本の紹介。
 ×年記念出版が乱れている期間に出されたのが『まんがフジテレビ物語』(1989年)。紀伊国屋だと「フジテレビ出版」しか書かれてないけど、発売が扶桑社じゃなかったかしら。Amazonだと「扶桑社」になっています。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784594004330

 

 紹介、と言いましたが、ずいぶん前に買って読んだだけなので、内容はさっぱりおぼえてません。
「スポーツ局 女性スポーツ記者誕生ラブリー優子は今日もごきげん」で、睡眠不足を食べて補うみたいな描写あって、ヒいた記憶があるくらい。24時間戦う時代ですからこういうノリなのは仕方のないことなのかもしれません。ラブリー優子さん(のモデルになった方)、実在するとしたら現在60歳前後と推察されます。お元気なのでしょうか。

 この本がなんなのかというと、「フジテレビジョン組織図」「リクルートメモ―フジテレビに入社したいキミたちへのメッセージ」という項目があるので、若者へのアピール目的と思われます。内容としてアピールになっているかは不明ですが……。

 

 NDL所蔵はありませんが、大阪市立中央に所蔵あり。

https://www.oml.city.osaka.lg.jp/

 ISBNついている普通の単行本なので、落ち着いたら高くなく買えると思います。興味のある方は読んでみてください。



 


*1:もちろん例外はあって、筑摩書房が自社の選書レーベルとして社史を刊行したり、小学館がISBNつけて取り寄せ対応したなどがあります。

断片的熊本

 熊本へ行ってまいりました。

 目的はこちら。

■連続セミナー 第4回 9/28(土) 14:00~15:30
「熊本と表現規制をめぐる攻防戦」
熊本出身で、「マンガと表現規制」に関われたお3人、藤末健三先生(慶応義塾大学特任教授、元参議院議員)、稀見理都先生(マンガ研究者)、ダーティ・松本先生(マンガ家)をお招きして、当事者として体験なされた表現規制の現場や、コンテンツ文化振興における表現規制の課題について、熊本の県民性としての「反骨心」を含めてお話をお聞きします(コーディネーター:熊本大学准教授・池川佳宏)。

第4回の「熊本と表現規制をめぐる攻防戦」についてはこちらで配信をご覧いただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=Aa4bno_Mddk

www.youtube.com


https://www.let.kumamoto-u.ac.jp/manga/news/news/20240506/ よりコピペ。

 

 もともと稀見理都さんからこの企画を聞いてまして。「私が行けば、巻号ナイトができるじゃんー」ということで行くことにしたものです。
 内容についは上記URLのYouTube配信をご覧ください。

 私の予定がかなり弾丸だったのと、イベント手配だけで大変なお仕事ですから、無理はしないーということで、「国際マンガ学教育研究センター」の見学だけで終わりました。巻号ナイトはまたそのうちー。

 

 ちょっと市内を観光→イベント→センター→食事みたいな旅程です。
 旅行の様子を断片的に。

 

腰塚のコンビーフカスクート

羽田発。腰塚のコンビーフカスクートで始まりました。具はルッコラとコンビーフ。しみじみとおいしい。

 

路面電車

到着したら路面電車で移動。芝生のところもいいですが、石畳もよいですね。

 

最初に乗ったのが年代を感じさせる車両でかなりアガりました。

数字の書体もいいし、この写真だとわからないかもですが薄緑のペンキを何度も塗ったような感じもいいです。

床もいい。

 

「吾輩のマドンナ 三毛子さん」

 


「吾輩のマドンナ」三毛子さんの石像。有名なものかと思ったら、いけがわさんは有名ではないと思いますという返事でした。園田屋さんから徒歩圏内です。

 

園田屋

冊子じゃない朝鮮飴が買えるお店にも行きました。
この近辺、古本屋が何軒かあるのでそちらも。

 

旧第一銀行熊本支店

会場近くのレトロ建築。旧第一銀行熊本支店。扉の上のひさしのさらに上に鱗模様のはめ殺しがあって、それがいい感じでした。

 

フォンテーヌ

イベントまで時間があったので、近所の出田眼科病院の付属のフレンチ(と書いてあったけれど、Googleマップだと喫茶店になってますね)でクリームソーダ。アイスがむちゃくちゃ硬かった。
施設付属の独特のゆるさがあってよかったです。

 

到着


イベントの様子はこちらで。
https://www.youtube.com/watch?v=Aa4bno_Mddk

www.youtube.com

 

サイン会

貴重なダー松先生登壇イベントということで終了後は自然発生的なサイン会も。

サイン会の様子(稀見さんです。写真はありませんがダー松先生もサインをされていました)。


国際マンガ学教育研究センター

ここには写っていませんがただいま少マガ整理中。

 

 

「電話でお金」はすぐ相談!!

夕食を取った店の足ふきマットがこれ。
いわゆる飲み屋のコースだったんですが、酢モツ、馬刺し、チキン南蛮、鶏の炭火焼と肉肉コースでした(サラダとデザートもありました)。

 

うなぎ自販機

ラーメン自販機もあったのに写真撮り忘れ。

 

サイゼ

ピザ部活動です。

 

かるかん

熊本空港で博多名物がけっこう売られており。鹿児島名物のかるかんもあるんじゃないのーと思ったら売っているところを発見。ただし、普通の餡なし売切れ(餡入はあった)。塩豆かるかん(餡なしです)というのがあったので買ってみました。おいしかったけれど、豆は不要という感想でした。すみません。プレーンかるかん、もっと置いてほしいです。

 

再会

一時神保町に出店していたよねはくさんと空港で再会。神保町ではいちご大福をはじめとしたフルーツ大福の販売でした。初見の削りいちごを購入。


機内販売

帰りのjetstarで販売していたボールペン。
スマホスタンドになります。こういうガジェットに弱い私です。カバーがあると厚みで使えませんでした。

 

思いがけず

いただいた花束。ありがとうございます。多少折れましたが、関東に持ち帰りました。

『サンリオ出版大全 教養・メルヘン・SF文庫』

『サンリオ出版大全 教養・メルヘン・SF文庫』

『サンリオ出版大全 教養・メルヘン・SF文庫』(編:小平麻衣子・井原あや・尾崎名津子・徳永夏子/慶應義塾大学出版会)

電子版もあります。

 

公式情報

慶應義塾大学出版会 | サンリオ出版大全 | 小平麻衣子 井原あや 尾崎名津子 徳永夏子

https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766429404/

www.keio-up.co.jp

 

自著を語る『サンリオ出版大全』(サイト「日本の古本屋」内)
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=13375

www.kosho.or.jp

 

 この本が出たことはすばらしいことだけれど、いろいろと注意が必要な本であることは言っておきたいと思ってこの記事を書きます。


よい点

 サンリオはキャラクターそのもの、もしくは企業研究みたいな観点で話題になることが多く、そのなかに出版社としての意義がはあまり触れられてきませんでした。

 定番は文庫化もされたこれ。公式情報的内容です。

・『サンリオの奇跡』(上前淳一郎/PHP研究所1979/角川文庫1982)

 ↑の後の時代をフォローするのがこれ。

・『サンリオ物語』(西沢正史/サンリオ/1990)

 

 総花的につかむのはこの2冊かと思います。その後も企業研究的に取り上げられるのは現在も続いています。

 キャラクターについては深入りするとめんどうなのでさくさく行きます。

 

 なので、最初に書いたようにこの本が出たこと自体が最大のよい点です。注も多く、しかもそれが見やすいのも特記すべきことでしょう。一般書の体裁に近い気がします。

 

 

よろしくないところ

 「一般書」と書きましたが、執筆者は研究者です。版元も大学の出版会ですから論集として出したのかもしれません。もし、これが学術書のつもりであるのならちょっと弱いというのが私の印象です。なぜそう思うのか。重箱の隅で申し訳ないのですがー。

 

 私の場合、どうしてもまんが関係の「マンガ雑誌『リリカ』の挑戦」(村松まりあ)(p.273-303)に目が行きます。他のジャンルはそこまで知らないので、欠点があってもよくわからないというのもあり。
 なので、話が「リリカ」の章に集中してしまうのですが、他の論に欠点がないという話ではないし、この論がこの本のなかで特によろしくない、劣っているということではないです。偏った話で申し訳ない。


 長い引用をします。

『リリカ』が創刊された一九七〇年代中頃、少女マンガは「少女」に限らない多くの読者を獲得するようになっていたが、そこには大きく二つの潮流があったと指摘されている。第一の潮流は、大島弓子竹宮惠子萩尾望都など「二十四年組」と呼ばれるマンガ家たちによる作品群である。『別冊少女コミック』を中心に活躍した彼女たちの作品は、マンガ評論の中で、その「文学性」が評価されてきた。それに対して、第二の潮流としてあったのが、田淵由美子や陸奥A子らによる「乙女ちっくまんが」と呼ばれる作品群である。『りぼん』を中心に展開されたこれらの作品は、「等身大の少女」を描いたエンターテイメント性の強いラブコメ作品が主流をなしていた。(18)
 こうした状況の中で、創刊当初の『リリカ』はそこに集まったマンガ家の顔ぶれからは、後者の流れに近い雑誌であったといえよう。
p.283
※「田渕」が正だが、「田淵」ママ。

 

 (18)はたそがれ時に見つけたもの』(大塚英志筑摩書房
 ううーん、となるのは大塚さんの言説が1980年代の知見であることです(本が出たのは1990年代に入ってから)。この本がすぐに出てくる場所にないので、この引用が内容をうまく引用しているかどうかは置いておきます。
 これをこのまま2020年代の本に引用するのはどうなのか。このあたりの言説が30年間変化のないものと思われているのなら心外です……。

 

 樹村みのり市川みさこ山岸凉子、大矢ちき等は、『リリカ』で長きにわたって活躍したマンガ家たちであるが、同時に『りぼん』誌上でも人気を博した面々である。(19)
p.284

 

 (19)は芸術新潮」2014年2月号掲載「少女マンガ家はラファエル前派の夢を見るか」(インタビュー・松苗あけみ/聞き手・藤本由香里)。

 もっと「?」が飛ぶのがこちら。専門に即して山岸凉子さんについて言えば、「リリカ」創刊号と第2号の2号にわたって掲載された「落窪物語」一作のみである。「『リリカ』で長きにわたって活躍したマンガ家」であるかというと疑問を持つ方は多いのではないか(いやらしい書き方で申し訳ない)。創刊にあたっての有名まんが家枠であったので、この人選がそのころの「リリカ」にとって意味があったくらいならばそうだと思うが、「長きにわたって」は事実としてありえない。ありえなくても断言したい時というのはあるけれど、ちょっと無理があるのではないか。
 これは、まんがについて知識が足りなくても「リリカ」について知っていれば書かない記述だ。何も「リリカ」全号隅々まで精読しろと言っているのではない。ネット上にある目次を見るだけでわかることを確認してほしいという話です。

 

サイト「目次屋仮店舗」(まんぱら内)
「リリカ」総目次が製作者の許諾を得て転載されています。
https://manpara.sakura.ne.jp/lyrica/mokujiya-top.htm
https://manpara.sakura.ne.jp/

 

 「りぼん」サイドからみると、樹村みのり山岸凉子、大矢ちきは決してこの時代を代表する作家ではない。
 いわゆる「24年組」に「文学性」があり、それが「リリカ」の「教養」と比すべきあるいは親和性のあるものだったとして、このラインナップでは説得させることはできないと思います。

 

 次の指摘。

 乙女ちっくとサンリオのむすびつきを直截にふろく文化に結び付けている部分も「?」でした。インテリアにおけるカントリー調*1、アイビーといった流行について触れずに結びつけるのは無理があるのではないだろうか。

 

 さらに指摘。

 主に小学館で活躍した市川みさこを「『りぼん』誌上でも人気を博した面々」に入れるのもどうかと思う。
 「少女マンガ家はラファエル前派の夢を見るか」からとして注の中で「『りぼん』で活躍していたマンガ家のうち、カラーイラストが得意だった者たちが『リリカ』に移っていった」(P.296)とまとめているが、「カラーイラストが得意だった者」と「『りぼん』誌上でも人気を博した面々」は内容が異なる。おそらく根拠となる知見があるのかと思うが、この不正確さはひっかかるところとなる。

 またこのような記述。

 

睦月とみというペンネームは、『リリカ』誌上においてのみ用いられたものである。
p.285

 

 「睦月とみ」名義は小学館などにも使用されている。よく知らなくても、ちょっと検索してネットで西さんのリストを見ればいいだけの話です。

 

サイト「矢代まさこ漫画館」(ばくのお宿」内/西みつのりさん)
https://yashiro-fan.nishimitsu.com/
https://nishimitsu.com/index.htm

 

 この数節後に、睦月とみ作品の分析になっていくのだけれど、論旨には「『リリカ』誌上においてのみ用いられた」という内容は関係しないように読める。そもそもこの情報は不要なのではないかというのが私の感想です。


 内容がどうという以前にうかつな記述が多いという印象になってしまうのは損だと思います。*2


ミニ情報

 これはいい点悪い点でなく、ミニ情報として。

 「サンリオSF文庫の小説世界」(加藤優)(p.330-353)で「山野の推薦でサンリオが版権を押さえた作品は二〇〇冊を超え(9)」(p.332)とありますが。

 (9)とは『サンリオSF文庫総解説』(編集:牧眞司大森望本の雑誌社掲載の「サンリオSF文庫の伝説 山野浩一インタビュー」(聞き手・大森望)のこと。おそらくここを根拠としています。

 当時、二百冊の翻訳権を押さえたという噂もありましたが。
 最終的にはそのくらいになっていたと思います。ディック全部とかレム全部とか、ケイト・ウィルヘルム全部とか、全版権を押さえた作家が何人かいたし、一巻から十巻まであるものは。全部まとめて取らなきゃいけない。そういう形で、実際にすぐには出せないものまで含めると、二百冊くらいになったんじゃないかな。
 創刊時点で?
 いや、最初から二百冊はちょっと(笑)。翻訳者もそんなに集められるわけじゃないし、僕自身の中で出したいって思うものがそんなにたくさんある訳じゃないから。
p.13

 

 このような本がありまして。

・『サンリオ闘争の記録』(全国一般南部支部サンリオ分会/マルジュ社/1984


 おもしろい読み物かというとそうではないのですが、いろいろと見どころがあります。タイトルの通り、労働争議の記録集です。
 最初から200点の訳がない、訳者も確保できないなどど、山野さんのおっしゃることは大変現実的です。

 この本のなかの情報として以下のようなものがあります。

十月十六日号で日本特集をしたアメリカの業界誌「パブリッシャーズ・ウィークリー」に大きくとりあげられたほどである。その記事はサンリオの出版外活動を紹介したあと、ある翻訳エージェントからわずか六ヵ月の間にSFや映画化ものを中心として三〇〇点の権利をとったと驚きをこめて報じている。

※1978年のこととしての記述
p.22

 

 SF以外を含めた翻訳権を300点押さえていた、と。大森さんが200冊としたのはこうした報道からの記憶でしょうか。

 

ロードショー映画の原作本、時の話題的なキワモノ、SFブームのなかでのSF文庫など、三百点を超える版権を買い、年間百五十点もの刊行を予定していた(朝日新聞一九七八年六月十二日付参照)
p.68

 

 なんと1年に150点刊行の計画であったようです。月10冊以上の刊行となります。そのために、委託の編集者が劣悪な環境で勤務を強いられ、労働争議に至ったという訳です。

 

 ちなみに「リリカ」についてこんな記述も。

「売上げがあがらなくちゃ責任をとってもらう。高橋健さんもあれも結局リリカの責任をとってやめさせたんだからね。本人はやめたと言っているが……」
(辻社長の発言)
p.59

 

 以下、文中に出した本やサイトとご参考。

*1:『本と女の子 おもいでの1960-1970年代』(近代ナリコ河出書房新社)で内藤ルネは自分が提案して流行したものとして語っている。この記事は、1972年創刊の雑誌「私の部屋」の仕掛人としてのインタビュー。

*2:海外進出を見据えてフルカラー左とじの雑誌として創刊されたことについて触れられていないのはとても違和感があるのですが、内容のまちがいではないのでツッコまないでおきます(左とじAB判であることは触れられているが「「まったくかわったマンガ雑誌」として売り出すため」(p.274)と「いちご新聞」からの引用を使用した説明を付している)。

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8-11札幌まとめ

 2024年3月8日から11日までの札幌旅行の記事のリンク集です。

 

展示と周辺情報

(公式サイト)『あさきゆめみし』×『日出処の天子』展  -大和和紀山岸凉子 札幌同期二人展-

https://www.city.sapporo.jp/kikaku/shomu/popculture/asakiyumemisi-hiidurutokoro.html

www.city.sapporo.jp

 公式のお知らせページです。この旅行はこれが目的でした。

 

あさきゆめみし』×『日出処の天子』展出展原画リスト(山岸分のみ)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240314/1710419876

mtblanc.hatenablog.com

 独自に作成した展示品リストです。トークイベントは「ダ・ヴィンチ」に掲載予定なので、割愛。


togetter「『あさきゆめみし』×『日出処の天子』展 まとめ」

https://togetter.com/li/2329098

togetter.com

 これだけ関心を持つ人がいます、というのを可視化したかったので1つのまとめとなっています。見づらいと思いますが、トークイベントについての投稿されている方がいらっしゃるので、記事が待ちきれない方は辿ってみてください。


8-11日記(主に展示周辺)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240315/1710511200

mtblanc.hatenablog.com

 グッズを買うまでの様子など。

 

8-11日記(主に食べ物)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240313/1710255730 

mtblanc.hatenablog.com

 食べたものの記録。


古本関連

8-11日記(主に本屋)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240316/1710592264

mtblanc.hatenablog.com

 まわった本屋さんの記録です(新刊本屋含む)。

 

佐々木倫子さんの生年問題と漫研FIRE(札幌収穫)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240317/1710653759

mtblanc.hatenablog.com

 入手した1970年代~1980年代の札幌の同人誌についてです。

 

北星学園八十年誌稿(札幌収穫)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240319/1710850219

mtblanc.hatenablog.com

 大和和紀さんの卒業された学校の年史から、つらつらと連想したことなど。


上砂川市井史(札幌収穫)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240320/1710946380

mtblanc.hatenablog.com

 山岸凉子さんとは関係ないけれど、出身地周辺のことが感じ取れる本でした。

 

 


 

  この記事をもって、札幌旅行の記事は終わりとします(公式情報も日々というほどの頻度ではないけれど、更新され続けているので何かあったら記事の修正をする可能性があります)。

上砂川市井史(札幌収穫)

 札幌収穫その3は『上砂川市井史』(木村誠一/上砂川郷土史研究会/1957)です。

 

『上砂川市井史』(木村誠一/上砂川郷土史研究会/1957)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2991993

dl.ndl.go.jp

 NDL蔵書があり、ネットで読むことができます。

 

 こちらは(おそらく在野の)郷土史研究家の著作物です。上砂川の歴史の本です。山岸度という意味では低い本です。
 前住民の話から始まり、基本的なことは公式本とそう変わらない記述が多いですが、ときどき「おや?」という俗っぽい文章が混ざります。タイトルが市井史とありますとおりです。


公式本について

 まず、公式本ってなんだという話をしておきます。
 下記の記事で紹介しましたとおり、上砂川町は公式の町史が2回刊行されています。


・記事「[小ネタ]山岸先生の出身は上砂川町なのか?」
https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20211130/1638278804

・『上砂川町史』(上砂川町上砂川町史編纂委員会/1959)
(こちらはNDL蔵書はないので、NDLサーチのページをリンクしておきます。)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130000796174852096

・『新上砂川町史』(上砂川町上砂川町史編纂委員会/1988)
https://id.ndl.go.jp/bib/000001917908


 新のほうでは山岸先生の項目もあり、ファンが持っていてもよい本でしょう。ただし、NDL蔵書があるので、そこまでコレクターとしての重要度は高くないです。


上砂川市井史について

 「おや?」となったのは「第十一章 鶉部落風物誌」の章。現在の上砂川町はいくつかの町や集落の合併です。鶉は今も地名としては残っているあたりのことでしょうか(上砂川中流とある)。
 風物誌の最初が火事で「六」が怪談なのです。郷土史の本に出てくる怪談。この方は、戦前から文献のない地域のことを聞き込みをおこなっていらしたとのことで、そういう話が出ることも多かったのでしょう。誰の証言であるかしっかり付記されています。
 開拓時代には怪談がないと断定。北海道のキツネは最初は人を化かすことがなかったとし、化かすようになったのは「たかだか、百二十年くらい前から」とまとめている。
 「狐狸、大蛇、鉄橋付近の怪談」は「発生と同時に夭折したかたち」とまとめています。
 そのあとに怪談ではなく、「キツネ火」「大蛇」「鉄橋附近のはなし」として目撃談が書き起こされている。
 キツネ火は「神社の山に出る」とされています(大正時代の話)。これって、2019年のトークイベントで駐車場を提供してくださった神社のことでしょうか。大蛇と鉄橋附近のはなしは別の場所で、鉄橋はバスで通ったかもしれない地域の話というのがなんとかわかるくらい。

 「もしかしてそうした話を山岸先生も耳にしたかもしれない」という程度のことではありますが、昭和20年代から30年代にかけて山岸先生が親しんだ土地の怪異(のようなもの)の話を具体的に読むことができるのは、興がそそられるものです。

 歴史の本かと思ったら、怪談の話があったというちょっとしたおどろきとともに、この本の購入を決めました。

 

 書影です。なんのこっちゃという写真ですみません。この本、図書館の廃棄本でよれよれなのです。NDL蔵書と色がちがうのは、グラシン紙もありますが、ボール紙で補強されているためです。

 廃棄は1980年。旧蔵の「北海道砂川南高等学校」は2004年に他校と統合され、現在は北海道砂川高等学校という名称なんだそう。廃棄は、統合より昔です。ボロボロになったから廃棄されたのか、公式本があるから廃棄されたのか。
 そして廃棄処分のあと、古本屋で私に買われるまでの間にも所有者がいたはず。砂川市内からどこかをさまよった後、札幌の古本屋へゆき、発行から67年後に関東へたどり着いたということになります。

 そういうところを含め、ボロいけれど私にとっては、なかなか楽める本であると思います。


余談

 他にも買った本もありますが、まんが関係はこれくらい。収穫報告はここまでとします。
 札幌にいるあいだに開催された即売会で、おつかいをお願いしていた同人誌は通販ありましたが、すぐに売り切れたようです。本当にありがとうございました。



北星学園八十年誌稿(札幌収穫)

北星学園八十年誌稿」(編集発行:北星学園/1967)

山岸ファン的北星学園

 大和和紀さんが中学から短大まで通われた母校です、また、山岸凉子さんの作品「学園ムフフ」の制服のモデルになったことで、(一部の)山岸ファンには有名。この作品のせいで、山岸先生は北星と思っている人もいたくらい。
 「モデル」というからには、実際とは違う訳です。うしろの襟の特徴的な星はそのままと言っていいと思いますが、本物は胸当てがなく、スカーフ留めに星がいます。

 で、今回の展示で気づいたんですけど「手塚先生との思い出」の大和さんも同じのを着せていたのでした。

 

https://twitter.com/mtblanc_a/status/1768193230578016312

 

 つまり、「モデル」ではなく「これ」が北星の制服と思っていらした可能性が。

 

購入に至った決め手

 こういうのは買いだすとキリがないものです。場所もとります。NDL所蔵があれば年史類は割とデジコレで読めますから、買わなくてもいいものも多いです。
 八十年誌稿を買った決め手は、判型が小さいことと、1967年刊行なところです。大和和紀さんの卒業されたのが1968年3月、つまり1967年度です。在学中の刊行ということになり、通われていた時のリアルタイム情報にかなり近いということに。
 もちろん在学中の学生の話などは掲載されませんが、生徒数や在職中の職員の名簿なども。名簿といっても実名はたいして重要でなく、本国の宣教師が何人くらいいたのか、クラスはいくつかなんかの情報とあわせて規模感がつかめます。

 この八十年誌稿は、写真類はあまり充実していませんが(モノクロの写真ページがあるけれど、明瞭な印刷ではありません)、歴史ある学園ですので年史も複数回刊行されています。また、年史とは別に写真集も出ているようです。北海道のお土産にと買いましたが、ガチで大和先生の通われた当時のことを調べるのであれば、図書館でいろいろ見たほうがよさそうです。

 

北星学園の校舎

 昭和5年築のものが、昭和38年12月に火災で焼失。大和さんが高校生のときということになります。この本によると長期かつ大規模な増築・移転計画が進行している時期です。大和さんがお使いになっていたのは、すでにできていた新校舎のはず。不便はなかったと推察されますが、おそらく印象に残っている事件なのではないでしょうか。

 

北星学園があるのなら

 旭丘高等学校があってもいいんじゃない? と思われるでしょう。私もそう思います。旭丘も年史が複数あり、私が持っているのは山岸先生卒業からだいぶ時間の経った1977刊行の20年史。こちらは通販で購入したもの。その前に1968年刊行の10年史があります。

 ここでもうおわかりでしょう。

北星 1967年に80年年史
旭丘 1968年に10年年史

 つまり、山岸先生がいらしたころの旭丘は開校から10年に満たない新しい高校だったということ。北星は明治時代開校の下も上もあるプロテスタント系の高校で、旭丘は無宗教(市立)の新しい高校ということになります。開校までの経緯もまったくちがっていて北星は長老派の宣教師たちがひらいた女子のための教育機関*1、旭丘は戦後の市民運動によって成立した共学です。
 身近に卒業生がいなくても、こうした本によって、なんとなくイメージの違いがつかめるのではないでしょうか。


参考

北星学園八十年誌稿』(1967)
 国会図書館と道立図書館に所蔵あります。デジコレログインでネット上で読むことができます。NDL、道立の両方あたりに他の関連本も。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9581753

dl.ndl.go.jp

 こんな本です。背表紙以外は文字がないので、他を写しても何の本だかわかりません(背景は「LOOK-IN」)。

 

『札幌旭丘高等学校 十年史』(1968)
(所蔵は道立ですが、固定URLでないようなのでと道立トップとNDLサーチのリンクを貼ります。)

https://www.library.pref.hokkaido.jp/
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I01111009510010932

ndlsearch.ndl.go.jp

 

常世長鳴鳥 山岸凉子スペシャルセレクション』
 「学園ムフフ」は『常世長鳴鳥 山岸凉子スペシャルセレクション』に入っています。新刊で買えます。

 

ムック「マンガのDNA」
 また、「学園ムフフ」と同じ制服を着ている大和和紀さんが登場する「手塚先生との思い出」掲載の「マンガのDNA 手塚治虫文化賞20周年記念MOOK」もまだ買えます。ぜひ。

 

 


*1:当時の日本の教育は男子むけのものしかなかったので、それを補うためにミッション系の女子校が設立される流れがありました。

佐々木倫子さんの生年問題と漫研FIRE(札幌収穫)

(たくさん人名が出てくるのでチェックが面倒なため、敬称はついたりつかなかったりです。)

 

 札幌収穫のうちのひとつがまんだらけにあった同人誌。表紙の絵がなかなか達者で、主催は札幌の方。10冊ほどありました。1冊あたりは安いものです。旅の土産にいいのでは、ということでまとめて購入。ペラ1枚の展示会パンフ的なものから80ページ超えているものまでいろいろ。

 

 帰ってから宅配で届きました。早速開封です。同一タイトルではないのですが、同じ漫研の作品集、連絡誌的な会報がまじっています。「LOOK-IN」が作品集で「ハロー・ファイヤーズ」が会報的な冊子。
 他のサークル合同で札幌で4日間にわたって即売会を開催したり、展示を開いたりと活動的。東京の協力者を募集して、支部を作りコミケに出展もしたようです。

 入手したなかで1番古いのが1978年の「LOOK-IN 13」です。米トに5号の所蔵があり、坂田さんが寄稿されているようですが、13になると有名な方のお名前は見当たらず。乾式コピのホチキス製本。今となっては製本テープがベッタリとなってしまっています。
 1番新しいのが「ハロー・ファイヤーズ」で1982年10月。印刷は大友出版。

 

 で、内容は当時の女性むけ創作同人誌らしく、萩尾さんの影響?みたいなリボンタイの少年たちの話があったり、バンドマン同士があれこれしているのがあったり。

 キム如月さんという方が、当時の少女まんがとしてはこってりめなんですがものすごく絵が上手い。顔の描き方みたいなページではあおりの描き方なんかの見本を描かれているのが立体的。美大にいらしたか、それ系の教室に通っていらしたのではないだろうか。「レモンソング」という作品集があるそうです。読んでみたい。

 

 今の視線で見てポイントとなるのは2点かな(1ページのコミケレポートも興味深いですがとりあえず除外)。


「少女マンガ教室より インタビュー」(Jun)

 「ハロー・ファイヤーズ 1981年8,9合併号」は、主催のJITOさんがご結婚されたということで、お祝い記事でいっぱい。その後にJunさんの「少女マンガ教室より インタビュー」という記事が。説明文ないのでよくわかりませんが、白泉社のまんが教室に出られた方なのでしょう。萩尾望都美内すずえ木原敏江山田ミネコ魔夜峰央和田慎二まつざきあけみ、酒井美和といった方々の一問一答が。メモからの書き起こしと思われます。画材についてが多いです。美内さんのところで、「Q ガラスの仮面はいつ終わりますか?」「来年あたりですね」というのがあるのが味わい深い。

中央が「ハロー・ファイヤーズ 1981年8,9合併号」。


会員リスト

 「ハロー・ファイヤーズ」は会員リストが掲載されている場合があります。その中に「佐々木倫子」という名前を発見。
 会員住所録は当時の同人誌あるあるで、「へー」てなものですが、この会報、生年月日が書かれている号があるのです。こうした文脈の情報なんで、「公表されている情報」にはならないと思いますので書きませんが、掲載されている「佐々木倫子」さんの生年にどうも違和感がある。佐々木倫子さんはインタビューなどの露出の少ない方で、そもそも生年って公表されてましたっけ? というのがあり。

 検索してみたところ、ネット情報は下記のような状況。

 

(1)1959年10月7日
佐々木倫子 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%80%AB%E5%AD%90
(2)1961年10月7日
佐々木倫子 | ダ・ヴィンチWeb
https://ddnavi.com/person/2878/
(3)10月7日(生年なし)
佐々木倫子のプロフィール - コミックナタリー
https://natalie.mu/comic/artist/1974
(4)(生年月日なし。読みがなのみ)
佐々木, 倫子 - Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)
https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00173660

 

 ……生年のあるwikiダ・ヴィンチWebで違うんです?
 wikiに出典情報なく、この1959年と1961年の根拠は不明です。

 ちなみに「ハロー・ファイヤーズ」掲載の生年は1959年でも1961年でもありません。どこ情報?……と、謎が深まったのでした。


 調べてからこの記事を書こうと思ったけれど、私にはそこまでの情熱がないので1959年と1961年の根拠をご存じの方がいらしたら教えてください。

 

 

2024/03/18追記の余談

 この記事の投稿お知らせの投稿をしたところ、センシティブにひっかかりまして。

https://twitter.com/mtblanc_a/status/1769334395566211084

https://twitter.com/mtblanc_a/status/1769335628670579040

 

 リアルでもないイラスト(実在の人物の被害はゼロであることは確定的)で、性描写もなく、エロくもないと思うんですが、「半裸」がひっかかる以上は仕方ないかな、と。

 当該号を中心にこんなカンジっていうのを伝えたいだけなので、下の写真に差し替えます。