『北星学園八十年誌稿」(編集発行:北星学園/1967)
山岸ファン的北星学園
大和和紀さんが中学から短大まで通われた母校です、また、山岸凉子さんの作品「学園ムフフ」の制服のモデルになったことで、(一部の)山岸ファンには有名。この作品のせいで、山岸先生は北星と思っている人もいたくらい。
「モデル」というからには、実際とは違う訳です。うしろの襟の特徴的な星はそのままと言っていいと思いますが、本物は胸当てがなく、スカーフ留めに星がいます。
で、今回の展示で気づいたんですけど「手塚先生との思い出」の大和さんも同じのを着せていたのでした。
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— 白峰彩子 (@mtblanc_a) 2024年3月14日
これ、「学園のムフフ」にも使われており、「お友達の制服をかわいいと思ってモデルにしたのだな」とほほえましく思っていたのですが、大和さんに作中と同じものを着せているということは、コレとして記憶されていた可能性が。
つまり、「モデル」ではなく「これ」が北星の制服と思っていらした可能性が。
購入に至った決め手
こういうのは買いだすとキリがないものです。場所もとります。NDL所蔵があれば年史類は割とデジコレで読めますから、買わなくてもいいものも多いです。
八十年誌稿を買った決め手は、判型が小さいことと、1967年刊行なところです。大和和紀さんの卒業されたのが1968年3月、つまり1967年度です。在学中の刊行ということになり、通われていた時のリアルタイム情報にかなり近いということに。
もちろん在学中の学生の話などは掲載されませんが、生徒数や在職中の職員の名簿なども。名簿といっても実名はたいして重要でなく、本国の宣教師が何人くらいいたのか、クラスはいくつかなんかの情報とあわせて規模感がつかめます。
この八十年誌稿は、写真類はあまり充実していませんが(モノクロの写真ページがあるけれど、明瞭な印刷ではありません)、歴史ある学園ですので年史も複数回刊行されています。また、年史とは別に写真集も出ているようです。北海道のお土産にと買いましたが、ガチで大和先生の通われた当時のことを調べるのであれば、図書館でいろいろ見たほうがよさそうです。
北星学園の校舎
昭和5年築のものが、昭和38年12月に火災で焼失。大和さんが高校生のときということになります。この本によると長期かつ大規模な増築・移転計画が進行している時期です。大和さんがお使いになっていたのは、すでにできていた新校舎のはず。不便はなかったと推察されますが、おそらく印象に残っている事件なのではないでしょうか。
北星学園があるのなら
旭丘高等学校があってもいいんじゃない? と思われるでしょう。私もそう思います。旭丘も年史が複数あり、私が持っているのは山岸先生卒業からだいぶ時間の経った1977刊行の10年史。こちらは通販で購入したもの。
ここでもうおわかりでしょう。
北星 1967年に80年年史
旭丘 1968年に10年年史
つまり、山岸先生がいらしたころの旭丘は開校から10年に満たない新しい高校だったということ。北星は明治時代開校の下も上もあるプロテスタント系の高校で、旭丘は無宗教(市立)の新しい高校ということになります。開校までの経緯もまったくちがっていて北星は長老派の宣教師たちがひらいた女子のための教育機関*1、旭丘は戦後の市民運動によって成立した共学です。
身近に卒業生がいなくても、こうした本によって、なんとなくイメージの違いがつかめるのではないでしょうか。
参考
『北星学園八十年誌稿』(1967)
国会図書館と道立図書館に所蔵あります。デジコレログインでネット上で読むことができます。NDL、道立の両方あたりに他の関連本も。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9581753
こんな本です。背表紙以外は文字がないので、他を写しても何の本だかわかりません(背景は「LOOK-IN」)。
『札幌旭丘高等学校 十年史』(1968)
(所蔵は道立ですが、固定URLでないようなのでと道立トップとNDLサーチのリンクを貼ります。)
https://www.library.pref.hokkaido.jp/
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I01111009510010932
『常世長鳴鳥 山岸凉子スペシャルセレクション』
「学園ムフフ」は『常世長鳴鳥 山岸凉子スペシャルセレクション』に入っています。新刊で買えます。
ムック「マンガのDNA」
また、「学園ムフフ」と同じ制服を着ている大和和紀さんが登場する「手塚先生との思い出」掲載の「マンガのDNA 手塚治虫文化賞20周年記念MOOK」もまだ買えます。ぜひ。
*1:当時の日本の教育は男子むけのものしかなかったので、それを補うためにミッション系の女子校が設立される流れがありました。