- 作者: 長山靖生
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2012/02/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「想像力」(主にSF的な)をキーワードに戦後のサブカルの総まとめをした本。文学寄りからおたく物件までコンパクトにまとめています。もちろんSF寄りです。このまとめ方には賛否あるでしょうが、選書という制約のなかでは充分な内容かと。
同著者の『日本SF精神史』asin:4309624073の続編にあたる本。昨年、「SFマガジン」で3回にわたって掲載されたおたく史評論も組み込まれています。
SFに理解のない私ですが『日本SF精神史』は読んでいます。こちらは傑作。しかし、今回の本は荒っぽいなあというのが率直な印象です。もう少していねいに作ることはできなかったのだろーか。
とりあえず4点だけあきらかに違うと思ったところを指摘しておきます。
p.62
中井は、五六年六月から角川書店の雑誌「短歌」編集長を務めており、春日井建、浜田到(いたる)、寺山修司らを世に送り出すことになる。
中井が角川「短歌」の前に「短歌研究」にいたことはなぜ省略されるのか? そしてなぜ春日井、浜田、寺山の3名なのか、そしてなぜこの順番なのかがサッパリわかりません。
私だったら年号は書かずに「「短歌研究」「短歌」を編集」「寺山、塚本、中城、春日井を世に出した」くらいの説明かなあ。浜田は有名と言えば有名だけど、出版状況からして中城ほどの知名度があるとは思えないです。例としてあげるものの選択は個人の好みですが、寺山、浜田を出すのであれば、「短歌研究」は削れないと思いました。寺山、浜田は角川「短歌」ではなく、「短歌研究」で世に出ているのだから(前歴があれこれとあるのはさっぴいてのおおまかな話)。
あとはケアレスミス
p.156
「ばら園」
「ばら苑」です。「SFマガジン」掲載時にもこの表記でした。
p.158
「漫画新評論大系」
「漫画新批評大系」です。p.157では正しいタイトルになっています。
p.162
慶応の森川久美
トン女です。
以下はまちがいとは言いませんが違和感あった箇所。栗本薫の項にくっつけて、以下のようなやおいの説明があり。
p.203
「やまなし」とは、波乱のない日常を生きるということだ
(中略)
「意味なし」はイデオロギーからの開放であり、「オチなし」とは、終わりがないということである。
こういう説明は初めて聞きました。これだと男性が主に嗜む日常系とどうちがうのかがよくわかりません。なぜ性的な表現に行きがちなのかも。この説明だと花魁などのパラレルものとか出産とかはどーなってしまうのだろーか。
あと、私は行ってないので断言できませんがp.208「世界」の場所「古書会館の向かい」はちがうのでは? 明大通りに面していたかと(あえて言うならナナメ後ろというか)。