萩尾望都『一度きりの大泉の話』(河出書房) その2

萩尾望都『一度きりの大泉の話』(河出書房) その2

※この本のネタバレがあります。
※他関連文献についてもネタバレがあります。
※自分語りあり。

 

 前の記事。

萩尾望都『一度きりの大泉の話』(河出書房)
https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20210421/1618939165


 そろそろ世間も落ち着いてきたかなーということで書いておきたいので書く。

 

「大泉サロン」について


 私が「大泉サロン」という名前を知ったのはいつだったんだろうか。この名称はともかく、萩尾・竹宮の両名が同居されていたことを知ったのは1980年代のどこかであろうかと思う。
 私は山岸情報をずっと追っているので、竹宮惠子『マンションネコの興味シンシン』(角川書店)に大泉サロンに山岸凉子が出入りしていたことが描かれていたのは知っていた。が、それ以上の情報はなく。いろんな記事にチラッと出てくるものの、トキワ荘のように同居の様子が作品化されることはなく、一読者にとってはぼんやりとした情報以上のものではなかった。「キャベツ畑の遺産相続人」(萩尾望都)に当時の生活が投影されていることはすでに指摘されていたと思う。
 「あるんだー」となってもこちらはまんがが読めればいいんで、特に調べたりはしてなかった。

 一気に情報の解像度があがったのが1996年刊行「別冊宝島288 70年代マンガ大百科」(宝島社)掲載の「キャベツ畑の革命的少女マンガ家たち」(増山のりえ+佐野恵)が出た時だと思う。

 

 その次が1998年ころに閲覧した「佐藤史生データベース」の「大泉サロンについて」のページができた時。

佐藤史生データベース
http://ww1.tiki.ne.jp/~quelmal/shio_sato.html
アーカイブhttps://web.archive.org/web/20060716111605/http://ww1.tiki.ne.jp/~quelmal/shio_sato.html
大泉サロンについて
http://ww1.tiki.ne.jp/~quelmal/report/ooizumi.html
アーカイブhttps://web.archive.org/web/20060714185554/http://ww1.tiki.ne.jp/~quelmal/report/ooizumi.html


 いわゆる「大泉サロン」がどう語られてきたかをまとめられています。解体の時期も証言によってズレていることがわかります。*1
 このページのアーカイブを今回見返していて気付いたのだけど、竹宮さんはすでに「ぱふ」1982年8・9月合併号(雑草社)の特集「竹宮恵子Part2」で「スランプのため大泉サロン解体に至ってしまう」と書かれているとある。*2この「ぱふ」は持っているし、サイト公開時、このページはしばしば見ていたけれど「諸説あるということなのだろうなー」という記憶だけ残って、この記述は忘れてました。今見返してみると、後年の単行本の重要な部分のいくつかは過去の諸説にまぎれこんでいたことがわかる。

 坂本さんのあげられた「参考文献」を見ると竹宮さんだけでなく、萩尾さんを含む多くのまんが家が大泉について言及してきたことがわかります。

 

 ここからはあまり情報の更新はなく。2016年の『少年の名はジルベール』(竹宮惠子小学館)になるのではないかと思います。
 そして2021年になって『一度きりの大泉の話』が出た。それが私にとっての今回までの流れ。

 

 私にとってこの本は重い。長年、「萩尾さんは大泉に対してなんだか語りたくないみたい?」と長年の読者として察して黙ってきた。「少なくともファンの前で竹宮さんとは同席したのをみたことないような?」ということも気づいていて、そこには触れずに作品を読んできた。しかし、1972年ころのうららかとも言うべき作品を知っていると「この落差は何なのか」と思ってしまう。どんなおそろしいことがあったのか? 語りたくなければ語らなくていいと思いつつ、「言える部分というのはないのだろうか。それだけでも言ってくれるような日はくるのだろうか」とひそかに思っていた。この本が出て30年は悶々とした答を知りようのないことを考えている無駄な時間ではなく、待機時間だったということになった。解放感があると同時に「これだけ長い時間語れなかったこととはどんな重さなのか。本当に聞いていいのか」という心配をしてしまう。

 いざ読んでみると語り口は非常にていねいで、やさしく何も否定しない文章。おそろしいことが起こるはずもない冒頭部。こちらは「何かあったのか?」という疑問を持っているせいで、この冒頭部すらいったいいつ「それ」が起こるのかドキドキしながら読んでしまう。

 過去におこったことは萩尾さんにとって今なお生々しいものであることが語られ、それでいて誰も悪くない、それぞれの事情があったのだと周到にまとめられています。この内容にするまで大変な御苦労があったと思います。

 

 この本の要求は萩尾さんと竹宮さん一緒の企画をあきらめてほしいということです。そしてひとくくりするのはやめてほしい、として「24年組」という言葉をとりあげます。

 

24年組」について

 

 「24年組」という言葉は、現在でも流通している言葉です。

 ヤマダトモコさんの「マンガ用語〈24年組〉は誰を指すのか?」という文章があります。「COMIC BOX」1998年8月号(ふゅーじょんぷろだくと)に掲載され、現在はサイト「図書の家」で読めます。 

図書の家
http://www.toshonoie.net
マンガ研究者・ヤマダトモコの仕事「マンガ用語〈24年組〉は誰を指すのか?」
http://www.toshonoie.net/shojo/05_list/yamatomo_works/text1998-201605.html

 

 これは「24年組」とは誰なのかというのは一定しないのを追った文章です。そして問題のある用語であることを指摘している。

 長年、まんがについての文章を読んだり、しゃべりつづけて来た人にとって下記のように思ったことは何度かあると思う。

  • 「あれ、この人「24年組」ってあまり言われないけど1949年生まれじゃん」
  • 「あれ、この人「24年組」に入っているけど1949年生まれじゃないじゃん」
  • 「こっちの文章だとこの人が入っているのに、こっちだと別枠っぽくで語られている???」

  そうした経験をしながら、人によってちがうみたいだけど「24年組」ってだいたいあのあたりだなーとなんとなくイメージしてきたものでした。その状態だったのが、この文章によって「いかにあいまいな言葉だったのか」が整理されたものになり、私がなんとなく疑問に思っていたことを解消してくれた文章でした。

 

 とはいえ、1本の文章が出たからといって「24年組」という用語が流通しなくなる訳ではなく。

 私は「ユリイカ」2014年6月臨時増刊号「総特集*腐女子マンガ大系」(青土社)に「24年組」という文章を書いた。BLの特集の中で「24年組」というものが必要とされる状況だったし、現在でも源流まで目配りをしたい場合、「24年組」とされるまんが家の作品群をぬかすことはおそらくできないと思う。それは「24年組」が誤解され、広まっていく歴史と共に発展してきたからだ。

 書いた文章の中で24年組の範囲は決まっていないし、BLとも直接的な関係はないというのは一応断った。しかし、「BL特集の中で「24年組」という文章を書いて萩尾望都もとりあげた」のはまったくの事実で、文章をちゃんと読んでいない人からすればまぎれもなく私も萩尾さんを24年組としてくくったひとりになる。私の文章なぞ読んでおぼえている人のほうが少ないと思うが、少なくとも私はそのことをよく知っている。

 だからこそ『一度きりの大泉の話』を読んで、萩尾さんを苦しめたひとりとして心に刺さった。「24年組のまんがって好きだな」と思ったことのある人すべてが悪いとは思わない。『一度きりの大泉の話』は誰かが悪いという方向でまとめた本ではない。

 誰でも取返しのつかない決裂は経験していると思う。ちょっと創作に関わったことのある人ならばネタの扱いで他人と温度差を感じたり、喧嘩をしたりも経験するだろう。この本の内容は、そういった多くの人が経験してきた「あるある」だけではない。善意の読者(そうでなくても「24年組」として消費してきた人たち)が傷つけた側であった。そうした膨大な数の人たちが苦しめた側であったと明かす。しかもそれが歴史の中の何かとして定着しようとしている。ここが「あるある」とは大きく違うところだ。
 私は、萩尾・竹宮両名の仕事を尊敬している。そういう読者は多いと思う。しかし、全くの善意の、好きなものを表す「24年組」という言葉で萩尾さんは苦しめられてきた。読者が広がれば広がるほど言葉も広がっていってしまう。

 

24年組」のこれから

 

 それで『一度きりの大泉の話』以降のわれわれはどうすればよいのか? 「24年組」は今でも流通している言葉だ。なくなることはないと思う。

 おそらく萩尾さんもそれはわかっていて、『一度きりの大泉の話』の「28 大泉サロン? 知りませんが。」のなかで「使いようによっては便利ですね。だからみなさん、お使いになるんでしょう。」と理解を示している。*3

 この章では少女まんがの区分として「1967~」をあげ、「ここらへんで若い女性作家が登場します。」として数名の名前をあげてもいます。これは「24年組」という言葉を使う人達と同じようなところを見ていると思います。萩尾さんが否定したいのは「24年組」という用語ではなく流れを無視することと思います。「もっと違うカテゴライズができるのではないかと思います。」と書いているので、「1967年~」の変節期を大きくとらえて何がしかの名をつけることまでは否定していないのではないかと思われます。

 また「たぶんその上に「〇〇好みの24年組」とつけた方が良いかもしれません。」とも書かれているので、「俺の考える24年組」みたいなスタンスでしたら否定はされないと思います。*4

 

 歴史として記憶されていることのうちの大半は、リアルタイムの人からすると「違うんですけど」というものではあるとは思う。しかし、そういうものだからといって同時代に生きる人がなあなあにしていい訳ではない。残すにしてもよりよい方向を示すのは当然のことと思う。 

 「24年組」は、あいまいな用語であるし、読者を含む関係者が減っていくにつれ、使う人は少なくなっていくと思う。しかし、半世紀流通したまんが用語として残ると思う。最終的には手塚神話、トキワ荘神話のように批判的な言葉として残るのではないか。

 

 

一度きりの大泉の話

一度きりの大泉の話

  • 作者:萩尾望都
  • 発売日: 2021/04/21
  • メディア: 単行本
 
一度きりの大泉の話

一度きりの大泉の話

 

 

 

 

おまけ

 『一度きりの大泉の話』の少し前に、竹宮惠子さんの『扉は開くいくたびも』(中央公論社)があります。京都精華大学の最終講義のタイトルも「扉は開くいくたびも」でした。

 私はとても「らしい」タイトルだと思っています。扉とは竹宮さんにとって何度も開くもの。自然と数々の挑戦が思い浮かびます。

 

 萩尾さんにとって閉じた扉は閉じた扉なんでしょう(別の扉ならば開くことはあるのかもしれない)。

 

 

 

 


 

*1:佐藤史生さんの初訪問についても『一度きりの大泉の話』の記述が従来の資料と違うのがわかる。

*2:当該号は私も持っているけれど、すぐに出てくるところにないのでサイトからの引用で失礼します。

*3:理解しつつもつきはなしていることが、この部分だけでわかるのがすごい

*4:「肯定もしませんが理解もしない」とこの部分だけで以下同文。