大島弓子の話をしよう

・「大島弓子の話をしよう」(scopeboy books)

 twitter上で企画がはじまり、実現した大島弓子さんのファンジンです。
   http://blog.livedoor.jp/yumin_talking/

 106ページの本文すべてがフルカラー上質紙。デザインも編集もプロの手が入っている。本としてたぶんこれ以上ないものと言っていいでしょう。

 昨日から今日にかけて2回ほど読みました。
 読みながらずっと「苦しい」と思っていました。読んでいるあいだは何が苦しいのかわかりませんでした。
 私は大島さんの作品はものすごく好きなのもあるし、すばらしいまんが家さんだと思っています。しかし、全作品肯定できるかというとそうでもなく。どこか理解できないところがあると思っています。悪い読者ではないと思うけど、よい読者でもないと思います。

 2回読んだ後に「苦しい」の正体を考えてみました。

 素直におもしろかったのは、図版とリストの部分です。データをつめこみたい気持と図版を入れねばという気持にてんびんをかけた場合、おそらくほぼすべてのリスト屋は図版を犠牲にします。この本のリストは範囲を上手にせばめて、うつくしくレイアウトしています。
 羽良多さん、芳元さん、BELNEさん、佐藤佐吉さんといった大島さんと仕事の関わりをもった方のお話も素直に読めました。しかし、この本はリスト本でも「大島弓子エピソード集」でもないです。大島愛を語る本なのに、それが楽しめないというのは致命的な欠陥があるのでないか(>私に)。
 おそらく私に欠けている部分というのは大島愛の部分なんです。

 個人的に気になったのはこのインタビューがとられたのがいつなのかよくわからないこと。だいたい今年だというのは知っているんですが。申し訳ないけれど、なぜこれが今年出たのかの必然性がよくわかりませんでした。たぶん10年後に作っても、10年前に作ってもそんなに変わらない内容になるんじゃないかな。中の人の年齢構成や出てくる作品は多少変わるだろうけれど。
 こういう部分は大島さんがどんな時代にも読まれる秘密につながっていく部分で、それが欠点でないこと、むしろよい部分であることを私は知っています。しかし、ソトの世界にいる私のような者にとっては「オレと弓子」の世界が強固すぎて閉じた印象を持ちます。おそらく私がこの本を読んで「苦しい」と思ったのは、はじかれたと感じたからです。少女のつくジャンルはだいたい排他的なんです。私は個人の趣味の世界なのだから閉じた世界でよいと思っていますので、閉じていることは悪いと思いません。
 ただ、この本は閉じた世界をめざしたのかなという疑問もあり。少なくとも本の体裁としては広く読まれることを意識したように思えますし、どこに出してもよいレベルの本になっていると思います。だからこそ、なんだかさみしい気分になったのだと思います。

 と、いうような感想はありますが、愛にあふれた非常によくできた本です。よみやすいし、おそらく大島弓子を読んだことのない人でも楽しめる本だと思います。友人が大事なまんがについて語っているのを聞くように読んでほしい。大島弓子をすでに知っている人ではなく、「大島弓子成分」を必要としている人に届く1冊になることを願ってやみません。
 そして勝手な希望ですが、「大島弓子の話をしよう」に続くものが、今回の本とは関係のないところで、別のアプローチで出てきてほしいです。ファンができることはいっぱいあるはずで、そういう活動の基礎となる本だと思います。