- 作者: 石田美紀
- 出版社/メーカー: 洛北出版
- 発売日: 2008/11
- メディア: 単行本
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Amazonでも買えるようになったので『密やかな教育 〈やおい・ボーイズラブ〉前史』(石田美紀/洛北出版)のもう少しくわしい紹介をさせていただきます。
版元さんの紹介ページはこちら↓。振込料・送料無料で購入できます。
http://www.rakuhoku-pub.jp/book/27088.html
腐女子ということばがすこしは世間に広まって、女性が夢想する男性同士の同性愛の物語を享受する現象があるという認識ができてきたのは、大方の人にとってここ数年のことかと思います。今でも知らないという人もたくさんいると思います。実際には、こういった趣味は現象などではなく、すでに何十年も受け継がれてきたもので、ひとつの文化と言っていい積み重ねがあります。
この本はそういった趣味について、タイトルにあるとおりやおい・ボーイズラブ以前について書かれた本です。具体的にはJUNEまでです。JUNEといっても刊行期間は長く、「やおい・ボーイズラブ」にかぶっている時期のほうが多いくらいです。ここでは石原郁子さんまで書かれています。
内容は詳細に追ったものではなく、目次にあるようなトピックを掘り下げた章をつなげていくかたちです。ヘッセを出すにしてもこれまでヘッセがどう受容されてきたのかがきちんと書かれ、ひとことで書かれている部分にも膨大な情報の上に書かれている文章です。これが全編に渡るのだから読むほうも心してかからないといけないです。とはいえ論のスジがしっかりしているので注釈も周辺情報もスルーしてナナメ読みしても充分おもしろいと思います。でも、そうするとこの文章の重みが変わってきてしまうと思います。わざわざ味を薄めるなんてもったいない。
私は全部好きなんですが、最も好きなのはラストです。「教育」の部分をもっと掘り下げるともっとおもしろくなったはずなんですが、これ以上石田さんに書かせるのは求めすぎだと思うので言いません(書いちゃったけど)。
書く心や仕事に対する姿勢や作品そのものといったバトンを渡すことが教育とするのなら、石原郁子さんのしたことはまぎれもなく教育となったと思います。この本で石田さんがラストに石原さんを選んだということは、石原さんに対する敬意であり愛情だと思います。その愛情が意志を生み出し、こうした文章を書かせた。石原さんからのバトンを受け取ったという石田さんからの表明として受け止めました。
ひとりの意志が文章を生み出し、その人の仕事となる。その意志のつらなりこそが文化であると宣言するラストは心うたれました。
期待のインタヴューはというと、全体的に言えるのは非常によく整理された内容だということです。
竹宮先生のは、このインタヴューそのものが石田さんへの教育を含んでいます。石田さんに「その質問自体疑ったほうがいいのでは?」とかえすところにしびれました。
増山さんもまとまったインタヴューのない方ですが、ある意味予想どおりの内容でした。増山さんのかたより、偏見が存分に出ています。内容にブレがなく、整理されているだけに増山さんなりの「本物」しか認めないという姿勢が出てしまったという。私は増山さんこういう偏りというか狭さが好きです。
佐川さんもインタヴューの少ない方。タイトルにもあるとおりJ誌の創刊のコンセプトを「文学と娯楽の間を行ったり、来たり」とし、それをくっきりさせたのがいいです。徹底して本流に留まらないようにしていた佐川さんと「本物」に寄ろうとする増山さんの差もくっきりと出ます。
このインタヴューは、なんというか「使えそう」な発言が多く、たぶんこれからいろんなところで引用されることになると思います。
JUNEが「劇画ジャンプ」増刊号「comic JUN」として創刊されたのが1978年のことです。それから30年経過しました。ある意味、節目の年にこういう本が出たことをうれしく思います。
自分がお手伝いしたからではなく、本当に心からいい本になったと思います。足りないところはいろいろあるのでこれから指摘されていくと思います。欠点もこの本が刊行された意味を打ち消すものではありません。ここからまた続いていく道の立派な一里塚になったと思います。
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id:m-aboさんも紹介がすてきなのでリンクを貼ります(トラックバックを送ったけどなぜか反映されなかった・・・)。
http://d.hatena.ne.jp/m-abo/20081123
ここについでにコメントを書いておくと、m-aboさんのおっしゃるように「やおいやJUNEに教養主義の一面がある」のはたしかです。ヘッセまで行かなくても、「××さんは以前は同人誌では───というジャンルで活躍していた」というのが作家によっては重要な情報になることはめずらしいことではありません。そういうのは「正史」として本に記録されることが少ないだけに当時のことを常識として知る人から知らない人へと、公刊されないかたちで伝えられていきます。
「以前のこと」を知るとより今の作品が楽しめる。それはJUNEに限らず、おたく全体でも、他の文化においてもそうなのです。
当たり前だと思われるでしょうが、JUNEはまぎれもなく文化の一部なのです。内容から特殊だと思われがちですが、それ以外の文化と構造としてそう離れたものではないと私は思っています。だから享受する側がなぜか隠れようとしたりする行動が奇異なものとして写るのかもしれません。私の中でここはまだうまく消化していなくて、きちんと言えないのですが、JUNEを窓口として狭い範囲であろうと文化全体と関わってきた以上、JUNEを知らない人にむかって「ほうっておいてください」ということは僭越であると思うのです。
なんだか話がそれましたがこのままアップします(ホントはm-aboさんのところにコメントつけるつもりでしたがそれたのでこちらに書きました)。